仕事が楽しくないと、何も手につかない。最近、それを身をもって感じている。
仕事が楽しくないと、何も手につかない
最近、仕事が全く楽しくない。
少し役職が上がってしまい、プレッシャーがひどい。
実は病院に通いながら仕事をしている、が、もちろん会社には言ってない。
出世を望んでいたわけではない。
これは、まったく本意ではない事だった。
日曜の夜になると、気が重くなる。

仕事がこういう状態になると、ほかのことまで手につかなくなってしまう。
家庭に不安があっても、健康に不安があっても同じ
これは仕事に限った話ではないと思う。
家庭に不安があれば、仕事も手につかない。
健康に不安があれば、仕事も家庭も手につかない。
どれか一つが欠けても、人生はうまく回らなくなる。
仕事、家庭、健康。この三つは、椅子の脚のようなものかもしれない。一本でもぐらつくと、座っている自分ごと不安定になる。
残りの二本がどれだけしっかりしていても、安心して座っていられない。
全部が「そこそこ」であれば、人生は回る
逆に言えば、仕事も家庭も健康も、全部がそこそこ上手くいっているとき、人生は楽しいと感じられるはずだ。
ただ、そのときに「人生が楽しい」という感覚は、たぶんない。普通に回っているときが、一番普通で、特に楽しくもないからだ。三本の脚が揃っているとき、人はそのことを意識しない。
仕事で嫌なことがあっても、家に帰れば落ち着ける。体調が悪くても、仕事や家庭が安定していれば、なんとか踏ん張れる。それぞれが互いを支え合っているから、全体として回っている。
どれか一つに頼りきりだと、その一つが崩れたとき、全部が崩れてしまう。
普通は、壊れて初めてその大事さがわかる
車でも機械でも、普通に動いているのが正常だ。動いているあいだは、誰もそのありがたさを気にしない。
故障して初めて、普通に走っていたことのありがたみがわかる。
人生も同じだと思う。仕事でも家庭でも、何かしらのハードルができたとき、はじめて普通のありがたさに気づく。
行動経済学の言葉を借りれば、普通の状態が基準になっていて、そこを下回ったときにだけ痛みを感じる、ということなのかもしれない。
それほど「普通」が実は大事ということ。
普通は、特別な幸せよりも、はるかに壊れやすくて、はるかに価値がある。
自分は、一攫千金が向いていない
自分は、賭け事や一攫千金が性格に合わない。

麻雀はやるけれど、ここ一番でツモれない(笑)。ギャンブルの才能が薄い。ただ、それは欠点というより、ただの性格だと思っている。投資も、個別株で大きく狙うより、積み立てのほうが合っていた。大きく勝つことより、大きく崩れないことのほうが、自分には大事だった。
会社でも、出世を望んでいなかった。それなのに、役職が上がってしまった。
人生は、なかなか思うようにならない。だからこそ、思うようになる部分、つまり自分でコツコツ積み上げられる部分は、大切にしたいと思っている。
普通に、コツコツが大事
車は、普通に走り続けるために、点検や整備をする。人生も、そうなのだと思う。
毎月、決まった額を積み立てる。小さな面倒ごとを、後回しにせず片付ける。そういう地味な作業が、普通を保つための点検と整備になる。
壊れてから慌てて直すより、壊れる前に点検しておくほうが、ずっと楽だ。派手な成功を目指すより、壊れにくい状態を保つことに力を使いたい。お金より大事だと思うようになったものも、結局は、普通の暮らしを支えるものだった。
だから、普通に、コツコツ積み立てる。小さな面倒ごとを、一つずつ解決していく。それが、普通の人生なのだと思う。



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